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本プロジェクトの詳細

 本プロジェクトの責任者が、ラテン語コンコーダンスの制作を最初に思い立ったのは、2003年のことである。そして、プロジェクトが本格的に動き出したのは、上滝圭介氏(現在、埼玉医科大学専任講師)、野村宗央氏(現在、松山大学特任講師)、桶田由衣氏(現在、日本大学文理学部英文学科助手)、金子千香氏(現在、日本大学大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程3年)という共同研究者を得てからのこととなった。後に、小川佳奈氏(現在、日本大学大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程2年)が加わった。
 ジョン・ミルトン(John Milton;1608-74)は、英文学史上、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare;1564-1616)と並び称される、17世紀英国の叙事詩人である。ミルトンが母国語である英語で書いた『楽園の喪失』(Paradise Lost;1667)は彼を世界的文豪の一人とした。
 一方で、ミルトンが、イングランド革命(1642-49)後に、オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell;1599-1658)の主導する共和政府のラテン語担当秘書官となって、共和政府を擁護する『イングランド国民のための弁護論』(Pro Populo Anglicano Defensio;1651)を執筆したことや、これが、当時、国際共通語であったラテン語で執筆されたことから、ヨーロッパ全土に広く流布し、後のフランス革命および民主主義的思想の形成に大きな影響を与えたことは意外に知られていない。
 たとえば、名誉革命(1688-89)の論理的支柱とされるジョン・ロック(John Locke;1632-1704)の、いわゆる「統治二論」、すなわち、英語版First Tract of Government(1660)、および、ラテン語版Second Tract of Government(1662頃)では、国王と国民の関係が、為政者と選挙民相互の契約に基づくものであるとするミルトンの主張が堅固に継承されているし、フランス革命初期に指導的役割を果たしたミラボー(Honoré-Gabriel Riqueti Mirabeau;1749-91)は『イングランド国民のための弁護論』をフランス語に翻訳している。
『イングランド国民のための弁護論』は、3年後に出版された『イングランド国民のための第二弁護論』(Pro Populu Anglicano Defensio Secunda;1654)と区別するため、通称、『イングランド国民のための第一弁護論』、あるいは、略して『第一弁護論』と呼ばれる。
 本プロジェクトでは、『第一弁護論』に出現する代表的なラテン語文の一部をコンコーダンス形式で検索することを主眼とした。検索はラテン語単語あるいは英語単語から入力可能となっている。たとえば、英語で“people”と入力すると、対応する “populus”, “populi”, “populo” などのラテン語および、それらのラテン語を含むラテン語文すべてが出現する。
 一方で、“populus”を入力すると、それに対応する英語“people”および、“populus”を含むラテン語文が出現する。この場合、“populi”,“populo”などを含むラテン語文は出現しない。これら格変化した形での出現のみを検索する場合は“populi”および“populo”をそれぞれ入力することになる。格変化を別にして、同一のラテン語のすべてを一度に検索する場合は、ラテン語に対応する英語を入力して検索することになる。
 また、ラテン語、英語いずれを入力した場合でも、対応する日本語が検索結果画面に提示される。ただし、これらの日本語は厳密な意味での日本語訳ではない。つまり、ラテン語の格変化に応じた訳にはなっていない。あくまで基幹の意味を示す、補助的な役割を担っている。ちなみにこれは英語の場合も同様である。
 各ラテン語文の後には、1651年版『第一弁護論』の出現個所を示した。これはEarly English Books Onlineから入手したquarto edition、すなわち、四つ折り本である。その該当ページ数をそのまま示した。ただし、序文には頁数は付されておらず、記号になっている。本ラテン語コンコーダンスでは、プロジェクト代表責任者の判断で記号の後に四つ折り本に提示されている順に整理番号を振り、検索者の便を図った。ちなみに、すべてのラテン語文には、検索者の便宜を図る目的で章数が数字で提示されている。0は序章を示す。1章は1、2章は2、3章は3、4章は4、5章は5という形になり、以降、最終章である12章を示す12までが提示されている。
 ミルトンは『第一弁護論』を生涯で、2度、1651年と1658年に出版している。1651年版は、共和政府の要請に応じたものである。共和政府によるチャールズ1世(Charles I;1600-49)処刑の後、息子チャールズ(王政復古時に、チャールズ2世として即位)に依頼されて、当時ヨーロッパ最高の博学者とされた、フランスの学者サルマシウス(Claudius Salmasius;1588-1653)がラテン語でチャールズ一世弁護の書を執筆・出版した。これが『チャールズ一世弁護論』(Defensio Regia pro Carolo I;1649)である。ミルトンは『チャールズ一世弁護論』反駁の書として『イングランド国民のための第一弁護論』を出版した。
 さらに、1658年、クロムウェルが死去した直後に『第一弁護論』の加筆訂正版を出版した。リーダー亡きあとの英国の政情不安と王政復古の予感を憂えたミルトンは、イングランドの人々が、革命当時の民主主義的精神と理念を再度、思い起こし、原点に立ち戻るよう促すことを、出版の目的とした。
 ミルトンが1658年には既に『楽園の喪失』口述筆記を開始していたこと、それが加筆部分に示唆されていること、さらに、加筆部分には極めて重要なミルトンの思想的発展が認められることから、今日広く流布しているのは1658年版の『第一弁護論』である。
 しかし、調査した結果、1658年版『第一弁護論』はEEBOには収録されていないことが判明した。そこで、本プロジェクト・チームでは、1658年版からのラテン語文を掲載する際は、The Works of John Milton, Vol. VII, ed. Frank Allen Patterson(New York: Columbia University Press, 1932, 1959)に拠った。これは通称、「コロンビア版」と呼ばれる。本ラテン語コンコーダンスに出現する、コロンビア版からのラテン語文引用数はのべにして20文ほどである。これは、本ラテン語コンコーダンスで提示される、総数約4800にのぼるラテン語文の0.5%以下となる。コロンビア版からの引用文は章数のみを提示しており、ページ数はない。
 本ラテン語コンコーダンスに掲載されたラテン語文は、ミルトンの膨大なラテン語文書である『第一弁護論』から、延べにして、わずか4800文を選択したものにすぎず、それも重要語句および文を選択するという制約があることから、かなり重複がある。さらに、既に述べたように、ラテン語に相応する英語および日本語は、格変化に関わらず、語の基幹部分のみに対応したものである。従って、あくまでもtentativeなものである。検索者諸氏がご指摘・建設的意見をお寄せくださるのを待つものであることをお断りしておく。
 われわれは、民主主義精神の根幹をなす、為政者と国民の契約という理念が曖昧模糊となりつつある今日の日本と世界的状況に置かれている。一方で、われわれには、民主主義的精神涵養の原動力となってきた、キリスト教の原点、すなわち、「神の前の全人類の平等」の理念が継承されている。(神の実在という観念自体は希薄になっているが。)また、エウリピデスらの悲劇やキケロらの文献に示される、「為政者と人民の契約」というギリシア・ローマ的理念も、英国ルネッサンスを経てわれわれに受け継がれている。これらは、当時の国際共通語であったラテン語で執筆された『イングランド国民のための弁護論』を通して、17世紀ヨーロッパに拡散していった。現代の国際共通語である英語の助けを借りつつ、17世紀ヨーロッパから継承した『イングランド国民のための弁護論』という「世界的遺産」のラテン語表現を再確認していくことは、極めて今日的意義のある行為いとなみだと確信している。

2017年5月14日
ジョン・ミルトン『イングランド国民のための弁護論』
ラテン語コンコーダンス作成プロジェクト責任者
野呂有子

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